外が炎天下の真夏日でも、病室の中はエアコンが行き届いて26度を保っている。
それでも普段なら暑いと思うのだろうが、ベッドの上でじっとしている分には快適といえる。
しかも今、病室にいるのは彼一人きりで、他に熱を発するものといえば備え付けの小さな冷蔵庫くらいだ。

 おそらくうだるような暑さになっている外では、鳥の声すらしない。
エアコンの低い唸りを聴きながら、ボブはいつの間にか眠りに落ちていた。




 夢の中で、白い身体を抱いている。
なめらかな肌を撫で、ところかまわずキスしていくと、最初は戸惑ったように小さな声をあげ、やがてボブの首に腕を巻きつけて喘ぎ始める。

これは夢だ、とボブは自覚していた。夢だから大丈夫だ。

首筋に吸い付いて跡を残しながら、膝の裏に手をあてて足を割り開いた。

全てを晒されて、夢とは思えないような羞恥の表情を見せる雅孝にたまらなく劣情を煽られ、ボブは己をあてがい、ゆっくりと腰を進める。
現実ではおびえた顔で見つめたそれを、雅孝の身体はやすやすと受け入れていく。
「センパイ……」

そう囁いたとたんに、後頭部をはたかれた。






 嫌々ながら目を開ける。下半身に痛いほど血が集まっている。横を向き、枕を抱いて寝ていたらしい。それで後から攻撃されたのかと納得し、もう少しで全部入るとこだったのに何しやがる宗一郎ブッ殺ス、と思った次の瞬間に相手は所在不明であることを思い出して、ようやくボブは後を向いた。

「気持ち悪い夢見てただろ。」
今まで腕の中で快感に震えていた顔が、少し赤くなってボブを見下ろしている。
「……本物か。」
半分寝ぼけたようなボブの返事に、うわやっぱり、とつぶやいた雅孝はますます赤くなった。
「あえて内容は聞かないがそれはなんとかしろ!」
体を起こして指差すほうを見てみると、不憫な身体の一部が思いっきりタオルケットを持ち上げている。
「抗議行動だ。」
「ふざけんな!じゃあ俺は帰るから、夢の続き見てろよ。何なら眠らせてやってもいいし。」
「悪かった。」
片手で拝むまねをしてみせるボブに、雅孝は冷えた缶のウーロン茶を押し当てた。
「千秋ちゃんと蛍さんは?」
「二人とももう帰った。」

 蛍はもともとリハビリタイムが終われば帰るのだが、千秋は着替えだの何だの必要なものを持って戻ってくるというのを、往復は面倒だから明日にしとけと半ば無理やりに帰した。
一人になって考えたいことがあったからだが、昨日亜夜とともに来たばかりの雅孝がまた顔を出すとは思わなかった。

「座らねェのか?」
「ああ、うん、俺もすぐ帰るから。」
雅孝はそう言いながらも、自分のウーロン茶を開けている。
「なんか変だな。アヤとなんかあったのか?」
「え?!いや、別になんかって何もないけど?元気だよ亜夜ちゃん。」
目が泳いでいる。
ボブが指でくいくいと招くと、一瞬ためらった後で雅孝は身をかがめた。
すかさず頭を抱き寄せて、額が触れるほど近くで言った。
「アヤのことは聞いてねえ。俺が気にしてんのはアンタだ。」
「ん……」
困ったような顔で目を伏せている。

無自覚は始末に悪い。


腕に触れる汗ばんだ首筋が、停電の夜の蒸し暑さを思い出させて、薄いブルーのタオルケットはまた持ち上がりはじめた。
「悪い、ボブ。都合のいいときだけお前に甘えてる。部長が帰ってくるまで、俺がもっとちゃんとしてなきゃな。」
「そんなに背負い込まなくてもいいんじゃねェのか。アヤと二人で道場にいるのがきつかったら、ロードワークに出るとか、やり方があるだろ。無理すんな。」
「サンキュ。無理はしてないよ。お前のほうこそ、無駄な体力使ってないで治療に専念してろよ。」

皆が無理をしている。

ボブにはそう思えた。
飛び上がっても届かないような場所まで、最短でたどり着くために自分を含めた皆が上を見上げ、足元がおろそかになっている。
頂点で虚空を見るあの男に、日本の武道の将来なんかは関係ない、ただアンタの弟に勝てればいいと言ったらどんな顔をするだろうか。
眉一筋も動かさず見込み違いだったと決め、あの目がもうボブを見ないことは容易に想像がつく。
そのことが、どうしてこんなに耐え難いのだろう。


「センパイ。」

まるで似ていない目が間近でボブを見る。

「ん?」

「キスしていいか。」




返事の代わりにスプリングがきしんだ。

ベッドの端に膝で乗り上げた雅孝は、閉じたままの唇をボブに重ねた。

 抱きすくめればボブより二周りも細い体は何の抵抗もなく体重をあずけてくる。
昨日、もしくは今日、亜夜との間に何があったかはわからないが、雅孝が弱っているのは確かだった。
少なくとも、何もないと言われて納得できるような状態ではない。


 少しずつ舌を入れて中を探る。雅孝がわずかに緊張するのが唇から伝わってくる。
自分と五十鈴が二人がかりで倒しきれなかったどころか大ダメージを食らった相手を、ほぼ一撃で倒すバカみたいに強い男が、キスしながら上手く呼吸できないというのは何のジョークだ。

溺れたくて仕方がない、汚したいという気持ちが胸の底から噴きあがる。この身体の隅々まで自分で満たしたくてたまらなくなる。


 それはボブの欲望だけに源があるのではなく、雅孝自身にそう思わせる要素があるのだと思う。
色々な面でのギャップのせいだろうか。
かなり波乱に満ちた人生のはずだが、暗い翳もひねたところもなく、むしろ素直で面倒見がいい。
だがそれを扱い易さと誤解して、猫を手なづけるつもりで近づけば、そこにいるのが豹だと知るだろう。



 シャツの背中に手を這わせると、雅孝は唇を離してくすぐったいと嫌がった。 
「……やめろってば、……あ、」
もうボブの手は直に素肌に触れている。細い見た目からは想像もつかない、正しく鍛えられた骨格と筋肉はしなやかで、その上を覆う少し汗ばんだ肌はしっとりと指に吸いつく。
「んっ……!」
脇腹をゆっくりと撫で上げる。ボブの肩に手をついた雅孝が声を殺しながらあえぐ。抵抗がないのをいいことに、褐色の手は白いシャツの中を傍若無人に動きまわった。雅孝が来る前に見ていた夢のせいか、歯止めが利かなくなりそうだった。
「あ……んっ、や、ぁっ、ちょっと待……っ」


 結構な力で頭を殴られて、雅孝のベルトを外そうとしていたボブの手が止まった。真っ赤になった雅孝がベッドから滑り降り、
「な、何考えてんだバカ!ちょっと待てって言っただろ!」
「ちょっとってのは何分だ。」
ズキズキする側頭部を押さえながら聞くと、もう一度バカと言われる羽目になった。

「ったく、病室でどうするつもりなんだよ。」
「いや、こんなことになるんなら、この前最後までヤッとくんだったと。考えたら手が勝手に……悪かった。俺が悪かった。」

握っていた拳を解いて、雅孝は嘆息した。

「だったら早く戻ってこいよ。」
「それは退院したらOKってことか?」



もう一発頭に炸裂する前に病室の扉がノックされ、打撲が原因で退院が延びる事態は避けられた。

すりガラスの向こうの人影は、面会時間はもうすぐ終わりですよ、と告げて通り過ぎていき、やがて終了のチャイムが入院棟全体に流れた。

「へえ、こんなの鳴るんだ。学校みたいだな。」
「ああ、俺も入院して初めて知った。前に来たときは中には入ってねえし宗一郎も言わなかったしな。」
「前って……帰りに死ぬほど追っかけられた時か。」
追ってくる黒塗りベンツから必死で逃げ切ったことを思い出して、同時に笑いだした。

「あれから、まだそんなに経ってないのにな。まだ予備選だって始まってないってのに。」

帰り際に、ぽつりと雅孝が残した言葉はボブの耳からなかなか離れなかった。







 消灯時間が過ぎても、ボブは寝付けずに何度も寝返りを打っている。

 まだ予備戦も始まっていないのに、俺たちはこんなにボロボロだと言おうとしてやめた、雅孝の気持ちはわかっている。
傷つく側が悪いわけではないと言葉を選ぶ優しさは、時折ひどくもどかしく、特に今のボブにとっては一番の不安材料だった。


 本気で雅孝に勝ちたいと思う一方で、もし自分が無謀にも拳を向けた時は、何の遠慮もハンデもなく思い切りぶちのめしてくれて構わないと思っている。
みっともなく地面にはいつくばった姿を、バカだと笑い捨ててほしいと切に望んでいる。
その程度のタフさがなくては困るのだ。

 光臣の言うようにこれから百年の戦が起こり、しかも当の本人はあと数年でこの世を去るのなら、高柳の名とともに遺される雅孝が無関係でいられるわけがない。



「……兄弟して人を振り回しやがって。」
それでも、まあいいか、と思った。
盾になりたい、そのために自分も相手も傷つく道を選ぶしかないが、傷つけた分だけ守り抜けば帳尻も合う。
大雑把でいて芯が通った覚悟はいかにも自分らしくて、グズグズと悩むよりはよほど落ち着く。



 だが心が落ち着きを取り戻したとたんに、体も本来の性質に戻ってしまった。


「ダムッ!結局眠れねえ!」

タオルケットをはねのけて体を起こし、勢いよく勃ち上がった大事な分身を前に、何が何でも勝たねば、と今までで一番強く決意した。
勝てば晴れて雅孝にあれもこれもできるに違いない。
雅孝が聞けば望みどおり手加減なしで粉微塵にされること決定の妄想のせいで、下半身は今やズボンの生地さえ突き破りそうになっている。
脳裏をちらつく、上気した頬や押し殺した喘ぎ声。
身上にしているクールとは程遠い夜になりそうだった。






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