今、カグツチは中天にある。白く真円を描く光は遍くボルテクス界に降り注ぎ、異形の住人たちは咆哮と嬌声で地を満たす。普段よりも抑制の利かなくなった彼らの目をかすめるようにして、おぼつかない足取りの一人の悪魔がアサクサの町へ入った。粗い呼吸でターミナルの前に立つと、両の拳で撃ち叩いて扉を開かせる。
中には男が一人いて、よろよろと倒れこむように入ってきた悪魔に声をかけた。
「来ると思ってたよ。」
「……限界なんだ」
そう答えた悪魔の形のいい唇から華奢なおとがいへ、唾液が一筋伝った。
男はかぶっていた帽子をゆっくりととり、何かを悼むように胸へ当てた。
「ん……っ、は、ん、ん……っ!」
ターミナルの中に押し殺した声と、ちゃぷ、ぬちゅ、という粘着質な水音が響く。
「ドロドロだ。服の上からでもわかる。」
「あ……!」
体のラインを浮き立たせているスパッツが引き下げられた。足の付け根までおろされた服と露出した性器のあいだに幾筋も体液の糸が張っている。先端から滴る液はまっすぐ床に垂れ、あと数回こすってもらえればこの苦しさから解放されそうだというのに、ヒジリはすぐには触らず、ただ人修羅を眺めている。
壁に背中をあずけて、呼吸を荒げながら刺激を待ち望む、浅ましい姿を見つめている。その視線に耐え切れず、人修羅は目を伏せた。とにかく一度、この昂ぶりを放出できれば普段の自分に戻れるとそれだけを頭において、視姦されているのも同然な状況に耐えている。
「お前も大変だな、満月のたびにコレじゃあな。悪魔の身体ってのも楽じゃない。」
放っておかれているにもかかわらず、股間でいきり立つサオは少しも萎える気配を見せず、むしろ視線でますます熱をあおられて、ドクドクと脈打つ音すら聞こえそうだ。
「なあ、自分でしてみろよ。」
「……自分じゃ……」
「無理なんだろ。それは聞いたよ。俺はさあ、イケないのに自分でしごいてるお前が見たいんだ。」
「……っ!」
むごい要求だ。金色の瞳でにらみつけても、ヒジリは薄笑いを浮かべて見ているだけだ。わずかな間をおいて、折れたのは人修羅のほうだった。もう限界なのか、足はぶるぶる震えている。
「自分でして見せたら……」
「ああ、思いっきりしごいてやる。なんだったらまた突っ込んでやろうか?後ろからゴリゴリ掘られながらしごかれてイクの、好きだろ?」
「違……っ、あ、あれは、無理に……っ!」
「無理に?」
へーえ、とヒジリはさも感嘆したような声を出した。
「何の力もない人間の俺が、無理にお前を四つんばいにさせて足を開かせたってのか。入れてくださいって言われたような気がしたがな。」
「う……ぅっ……」
次々と浴びせられる言葉に唇を噛みながら、手はもう自分の性器をこすり始めている。すでに先走りでぬるぬるになっていたそれは、先端から根元まで手が往復するたびにぬちゃっ、ぬちゃっ、と音を立てて人修羅の耳をえぐった。
「んっ、ふぁ、あ、あ、で、出るっ、あ、もう、もぉ出るッ……」
「必死になっちゃってまあ……外で待ってるお仲魔だったら、喜んでしてくれるんじゃないか?」
立ったまま後ろにもたれた姿勢で自慰をすれば、正面から見ているものに腰を突き出す格好になる。右手でさおをこすりながら左手は鈴口に指をめりこませてぐちゃぐちゃにこする。そこまでしても絶頂は訪れない。人修羅はさらに足を開いてみせ、濡れて光るそこに遠慮なく浴びせられる視線に喘いだ。
悪魔の身体は種を問わずカグツチに狂う。
人から転生したため同属が存在しない、つまり繁殖できない彼は、一方的に犯される以外に他の悪魔と交わるすべをもたない。女性型の悪魔と交合すれば、精を吸い取られ衰弱してしまうからだ。
発情する身体をもてあました人修羅がボルテクス界で逃げ込むところといえばターミナルしかなかった。
そこにいるのが、悪魔の生態に多大な興味を持つ男だと知っていても。
「……あっ、あっ……!んんんッ!」
射精寸前の快感がずっと続いてあえぎ声が止まらない。ヒジリの指が裏筋をゆっくり撫でている。鈴口の少し下から根元まで何度も往復され、もう少し強く、もっと強く、と貪りだせばきりがない。舌を出せと言われて素直に従うと、温かい舌が絡んできた。
「んっ、んふッ、はっ、……んっ……」
もどかしいほどの余裕をもって、唇も舌も蹂躙される。緩慢な指先から意識がずれて舌を追うことに夢中になった時、一気に絞り上げられた。
「うあ、ああっ、あ、や、あぁぁぁぁぁぁっ!」
限界以上に張り詰めていた身体はあっさりと絶頂に達してしまう。こみ上げてくるものを一気に解放できる悦びに、言葉にならない声を上げながらヒジリの手の中にぶちまけた。
「物足りないって顔してるな。」
あれほど待ち望んだ絶頂だったのに。今までは一度出してしまえば静まっていた熱が、まだ下半身にくすぶっている。珍しく年齢相応の人間らしい戸惑いを見せる悪魔の頬に、ヒジリが手を伸ばした。ねっとりした感触と独特のにおい、人修羅の端正な顔を彼自身の体液で汚し、ヒジリは言った。
「物足りないんだろ。―――いや……お前、マガツヒが欲しいんじゃないのか。」
「……っ」
口の中に、たっぷりと精液の絡みついた指が入ってくる。イヤだ、と確かに拒絶したはずが、音をたててしゃぶっていた。舌を這わせ、上あごに押し付けて吸い、まるで指ではないもののように丹念に奉仕するうちに、どうやってもおさまりがつかないほどに股間が滾ってくる。
じゅるっと啜るとヒジリが呆れたように笑う。
「自分で出して自分で舐めてりゃ世話ないな。入れてやるから、後ろ向いて壁に手ぇつけよ。」
二本の指が舌をこねまわすように動いて唇の端から唾液がこぼれた。
ヒジリはたぶん、悪魔が憎いのだろうと人修羅は思っている。東京を壊した氷川もトウキョウを産んだ祐子も、変わる世界の象徴のように悪魔となった自分のことも、嫌悪もしくは憎悪の対象でしかないのだろう。
まったく斟酌なく突きこまれるたびに、痛みとともに下腹に紛れもない快感が生まれる。こんな行為で悦ばされる生き物に成り下がってしまったのだと思い知らされる。
「うぁ、あー……っ!んはぁぁ……っ!」
そのことがひどく惨めで、ひどく興奮した。
ズルッと根元近くまで抜かれたペニスがまた打ち込まれた。抜き差しされるカリに粘膜が攣られるたびに、人修羅の性器も反応してビクンと跳ねた。
「あ……あ……くっ……ひ……っああああ!」
もう下肢は快感のあまりしびれたようになっているのに、うずくまることも許されず、無意識に尻を突き出す姿勢で人修羅は犯されていた。
「や、やあっ、あ、も、やっ、イク、出るっ、あ、あ、こすれるッ、ヒジリ、ひじりぃッ!」
ペニスの根元をギュッとつかまれて人修羅は痙攣した。すぐそこまで絶頂が来ているからか、苦痛もすぐに快感に書き換えられていく。ぼうっとタトゥのラインが光る背中をヒジリの舌が這った。
「あー締まる。お前、こんだけひどい扱いされてなんで感じてんだよ。俺じゃなくて、オニとかヌエとか、死にそうにチンポでかい奴らにぶちこんでもらったほうが嬉しいんじゃないのか?あの鎧の悪魔とか妖精がそれを見てどう思うかは知らんがな。大事なご主人様が、知能の低い取り柄といえばチンポの大きさくらいしかない奴らに犯されてひいひい喜んでるのを見て、どう思うんだろうな?」
屈辱的な言葉を投げかけられるたびに、怒りよりももっと熱いどろどろとしたものが下腹で湧き上がって、彼の中はきゅうきゅうとヒジリを締め付ける。何度目かの内奥を抉る動きに、人修羅はのけぞった。
「あっ、あー……っ!も……もう……ヒジリ、苦し……っもうやだ、やだッ、弾けちゃうよっ」
「ああ、こっちも限界、だっ……!」
緩めた指を輪にしてこすりたててやると、悪魔は溶けそうな声を上げた。まだ達してこそいないが、先端からは体液がだらだらととめどなく流れてくる。それは彼の中のヒジリも同じ状態だった。柔らかい熱い粘膜がみっちりとヒジリ自身にからみついて、吐き出されるものを待っている。本当に限界を迎え、ヒジリは両手で人修羅の腰をつかんで激しくかき回し、熱い塊をドクドクと注ぎ込んだ。それは悪魔にとって生命を繋ぐマガツヒとなる。ヒジリが射精すると同時に人修羅も一際激しく身体を震わせた。
「やっ、ああああ!」
人間だった頃の名残か、スニーカーを履いたままの足元に人修羅のマガツヒがぼたぼたと零れ落ち、束の間光って消えた。
人修羅はターミナルの壁に背をつけて、座り込んで膝を抱えていた。顔は膝に乗せた腕の上に伏せられている。ずいぶん長い間そうしているので、ヒジリは大丈夫かと声をかけた。
「……大丈夫、だけど。」
顔を上げずに人修羅は続けた。
「めちゃくちゃ恥ずかしいし、情けないし、死にたくなってきた。」
「おいおいおいおい。ここでお前にそんな理由で死なれちゃあ、俺はどうすりゃいいんだよ。」
ヒジリはできるだけ呑気な口調で返した。
それで少しは楽になったのか、人修羅はようやく顔を上げて傍らに立つヒジリを見上げた。金色の瞳は乾いている。本当は泣きたいのかもしれないが、涙は出ないのだと以前聞いた。
涙も、汗も、もう出ない。それが一番嫌だ。たしかそう言っていた。
「ヒジリ……ごめん。」
「何が。」
人修羅はあごを膝に埋めた。
「悪魔嫌いなのに、いつも相手させてさ。」
前を見たままぼそっとつぶやいた口調で、いったいどんな思い違いがあるのかヒジリにはおぼろげながら分かる気がした。それはたぶん、人間として彼よりも長く憂き世を生きたからだ。
「……次からもっと優しいセックスするか。」
「え?……え?何?」
「お前がそういうのが好きなのかと思ってた。違うんなら他にやりようもあるってことだよ。」
ぽかんとヒジリを見上げる顔は、人間なら耳まで赤くなっているのかもしれない。
やがてターミナルを出て行く時、人修羅はちらりと振り返って言った。
「マガツヒ、ありがとう。」
その後は、聞き取れないほど小さな声で。
―――次も、よろしく。
「もっとはっきり言ってくれないと、人間には聞こえないぞ?」
ヒジリが、自分でもいやらしいなあと思う笑みを浮かべて言うと、人修羅はベーッと舌を出し、来たときとは別人のような俊敏な動きで行ってしまった。
一人残された男はふうっと息をつく。こんなとき、タバコがあったらどんなにいいだろう。
しかしどういった皮肉か、ボルテクス界には人間が摂取できる酒やタバコといった有害物質は存在しないのだった。
END