郭嘉の頭上には雲ひとつない満天の星空が広がっていた。
夜になって風が強くなり、抱えている地図や軍略が飛ばされぬよう腕に力をこめる。
松明が其処此処に立てられた陣営の中を早足で歩きながら、砂埃に郭嘉は顔をしかめた。
柳城を拠点に行っている異民族討伐の戦はおそらくまだ中盤だが、曹操が郭嘉に全権委任してくれたことと機動力において策を上回る張遼の騎馬隊の働きで、当初の予測よりも早く終わらせることが出来そうだった。
「張遼将軍。」
明かりの漏れる天幕の前で声をかけると、すぐに応えがあり、両手がふさがっている郭嘉のために張り番の兵士が気を利かせて垂れ幕を上げ、郭嘉はくぐるようにして中へ入った。
軍師を迎えた張遼と副将たち四人はまだ鎧をつけたままで、窮屈そうに詰めあって張遼の向かいに郭嘉の場所を空けた。
兵卒たちの天幕とは比べ物にならない厚手の生地を使ってはいるが、所詮石壁ではないのだから砂は入ってくる。
抱えていたものを下ろした卓の上の、ざらついた感触。
不意に、異郷なのだという思いが胸を衝いた。
補給線は短めに、だが固まらないように。輜重だの輸送だのこんなのは荀ケのほうが向いているのだと言いながらも、郭嘉が組み上げる配列は挑発的で、それはやはり郭嘉にしか生み出せないものだった。
強固な布陣のようでいて、これを見た敵陣に兵糧が腐るほどあまっていても、つい略奪しに来たくなるような隙を作ってある。
美人局作戦と郭嘉が真顔で言うから副将たちは耐え切れず吹き出したが、張遼は一文字の口元を崩さない。
彼はツツモタセを知らない。
「あんたのような男が、董卓に仕えていたことがつくづく不思議だ。」
軍議が終わって郭嘉と張遼の二人だけになった幕舎は急に広々として、いっそう砂っぽい。
美人局の意味を教わった張遼は董卓は関係ないだろうと淡々と言った。仕えていたといっても、言葉を交わしたこともない。郭嘉にしても董卓は、その暴虐を目の当たりにしたこともない、話に聞くだけの人物だ。頭の中に組みあがった董卓と、そこにいる張遼はなかなか結びつかない。郭嘉が初めて張遼を見たのは白楼門においての曹操との問答で、そのときからすでに物に動じない雰囲気があったように思う。若い頃からああだったのなら、さぞかし使いにくい兵卒だったろうと考えると、妙におかしかった。
笑いそうになるのをごまかすためにぐるぐる首を回すと小気味いい音がする。昼間は薄い鉄を仕込んだ胸当てをつけているせいか、体が凝って凝って仕方がない。
肩も肩甲骨も指先まで鳴らして、郭嘉は簡素な寝台に仰向けに倒れこむ。寝台の本来の主は何をしているのかと目をやると、卓の上に広げたままの図面にじっと見入っていた。精悍な顔を卓上の明かりが照らしている。
頭の下で両手を枕代わりに寝転がるという甚だ行儀の悪い姿勢で、その経路にどこかひっかかるところがあれば言ってくれと声をかけると張遼は図面に目を落としたまま答えた。
「徐晃の隊と合流するのは明後日だったな。」
「ああ。明日一日は兵の休養日だ。」
見上げた天幕が風で揺れている。骨組みがこすれて、人を不安にさせる音をだす。わずかではあるが、体調を崩す者も出てきた。兵卒の営舎はもっと簡易なつくりでもちろん寝台などはない。誰かが風土病を発症してしまえば広がるのは早い。
不意に視界に入ってきた無骨な手が、袖がずれてむきだしになっている郭嘉の肘に触れた。
「冷えている。」
あまり表情に変化を見せないが、張遼が怒っていることが郭嘉にはわかる。
掌は郭嘉の額にうつった。平熱であることを確かめて安心したらしく、張遼の表情が和らぎ、いつも乾いているその手が額からおりてきてゆっくりとまぶたを撫でたので、郭嘉は逆らわず目を閉じた。
温かい闇の中で唇が覆われる。呼吸が湿り気をおびて胸を満たしていく。もう少しこの穏やかな感覚を味わいたいとも思ったが、やはりこらえきれなくなって舌を絡めた。言葉を発する余裕もなかった。
伸ばした手の先には冷たい鋼の感触。
もどかしく探ると頬に触れた。生身の肌を求めて、郭嘉の指がせわしなく張遼の頬、耳、首筋をたどる。くすぐったいのか、張遼が低く笑った。それだけで、腰の奥が焙られるように熱を持つ。
自分が理性的であることに郭嘉はこれまで自信をもっていた。遊蕩にふけっていたときですら、常に覚めた目で外界を見ていた。その自信がどういうわけか張遼と接していると崩れてくる。まぶたを覆う乾いた掌で全身に触れて欲しい。鎧の下の張り詰めた皮膚に触れて舌でたどりたい。欲求を抑えられない。
「寝よう、張遼。」
口を吸いあう短い呼吸の合間に言った。一瞬の沈黙の後に、無茶を言う、と張遼が返す。
「そんなことはわかってる!」
まぶたの上の掌はすうっと遠ざかった。薄く開けた目に、寝台を降りて卓のほうへ向かう後姿が映ったとたん、一度は潤った胸の中に砂が吹き寄せてきた。
遠征中に自制がきかないほど欲情するなど軍師失格もいいところだ。挙句の果てに童のように駄々をこねる。以前の自分でも間違いなく見下げ果てた男だと侮蔑しただろう。それでも口に出さずにいられなかった、真意は張遼に伝わらなかったか。ぼんやりと見送る広い背中は、幕舎の入り口まで行って外に出て行くのかと思えば、そこに立っているはずの衛兵と二言三言話してまた戻ってきた。
「極秘の軍議を行うから誰も近づくなと言ってきた。」
「……」
「珍しいな、あんたのそういう顔は。」
呆気にとられて寝台の上に起き直っていた郭嘉は、言われて初めて半開きの口に気づいた。
郭嘉の狼狽をよそに、張遼は落ち着き払って鎧を外している。布がかけられた函の上に外すそばから手際よく並べ、最後に軍胞を脱いで投げ、入り口近くの燭台の小さな明かりだけを残して卓に置かれた灯を消した。
無駄のない動きをただ見ていた郭嘉に、暗がりの中を近づいてきた張遼が言った。
「寒くはないか。」
郭嘉は返事代わりに音を立てて帯を解いた。
「いつもいつも、気を遣いすぎだ。」
なだめるように、大きな手が肉の薄い頬をなでる。
「あんたが私に触れるのは熱を測るためか。」
憎まれ口の途中で膝立ちのまま鍛えた腕に抱きこまれ、郭嘉は身動きできなくなった。首筋に少し冷えた唇が触れ、耳の下辺りから鎖骨のほうまでうつっていく。ゆるやかに何度も繰り返し行き来したあとで耳や鎖骨に軽く歯を当てられて、たまらずに身をよじった。
「どうした」
自分とはまるで違う太い首に腕を回して引き寄せる。腕の内側や頬に固い髭があたるその刺激すら欲情を煽る。強引に唇を重ね、夜が明けてしまうとささやいた声は自分でも呆れるほど急いていた。
とうにはだけていた衣の下の素肌に、待ちわびた掌を感じる。いったいいつから待っていたのか、今はとても考えられない。あれほどうるさかった風の音は聞こえなくなり、かわりに頭に響くのは自分の上がりきった息遣いと舌を吸う湿った音。胸板とも言えないような薄い胸、脇、背中をゆっくりと撫で下ろす手が汗ばんでいることに気づいたとき、張遼がこれまでどれほどの自制心をもって郭嘉に触れずにきたかをあらためて理解して泣きそうになった。
実際に肉体がつながることが最上ではないことくらい、百も承知だ。だから張遼はその結びつきを精神に求めたのだと、郭嘉は勝手に思い込んでいた。
違うなら違うと言え、と勝手に思い込んでいたにもかかわらず張遼の辛抱強さにいっそ腹が立つ。
このまま自分がいなくなったら、今体に触れている熱をどうするつもりだったのか。
胡坐をかいて郭嘉を抱え込んでいる張遼の下腹部をさぐると、そこは充分に固くなっている。布地の下にすべりこませた手でゆるゆるとしごき、熱を増す先端を指先でくすぐった。
「……郭嘉」
わずかにかすれた声に、郭嘉は身を震わせた。この声で呼ばれるためなら何をしてもいいとすら思った。汗ばんだ内腿を張遼の手が撫で上げ、割り開き、
「郭嘉」
加減ができない、そう呟く言葉とは裏腹に、郭嘉をほぐす動きは緩慢ですらある。わざと焦らされているのかと思うほど、もどかしくて苦しい。
「……っんっ」
浅く深く、節くれだった無骨な指に内側をこすられ、膝に力が入らなくなっていく。腰が落ちると自重でさらに指を飲み込んでしまい、独特の引き攣れた痛みとうずきが足の爪先まで襲ってきた。
中心を裏側からかき回されるような疼きは、じわじわと痛みを凌駕しつつある。
完全に勃ちあがっているわけでもないのに、とめどなく露がこぼれる。張遼への愛撫どころではなく、いつの間にか両手で厚い肩にしがみついていた。張遼は粗い呼吸を気にしたらしい。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫にみえるのか、これが……っ」
半分涙目になってしまっていて、しかもそれが苦痛のためではないことを悟られまいと強気に答えてみるものの、どうしても喘ぎが混じる。それどころか、二本になった指に一番反応する部分をこねまわされてびくびくと全身が震えた。
「も、もう、い……から、はやく、入っ、……っあ、あ……んっ」
ひざから腰にまるで力が入らず、指が抜かれる感覚に軽く達しかけて張遼の肩に顔を伏せた。
「ちょ、りょ……溶ける……はやく、……」
張遼がまだ郭嘉の身にまとわりついてた衣類を引き剥がす。郭嘉は自分から足を開くと張遼の腰をまたいだ。あてがわれたものはすでに先端がぬめってはいたが、無理やりに押し入れられるわけでもないのでかえって難しい。じっと動かずにいる張遼の自制心に、このときばかりは感謝しながら、なんとか根元まで飲み込んだ。
汗の浮いた背中を張遼が撫でている。
「……苦しい……」
「やめるか?」
「……やめるな」
唇に噛みつくまねをしてやると、そのまま舌を吸われ腰をゆすり上げられた。
「んっ、んーッ、う、うぁ、あ、んんんッ!」
苦しさのあまりいったん離した口を、後頭部を抑えた手のせいでまたふさがれて、厚い胸板を抗議のこぶしで叩きまくったが武人はもちろんびくともせずに目を細めている。
「動くぞ」
郭嘉を気遣った動きではあっても、突き上げられるたびに痛みと快感がめまぐるしく入れ替わる。
「ぁあ!うぁ、あ……っ、はっ、あ……!」
喘ぎながら首にすがりつくと耳元に感じる張遼の呼吸が、少し荒くなっていることに気づいた。
「締めすぎだ、軍師殿。」
知るか!とわめきかけたところをさらにかき回されて、もう何も言葉にならなかった。
天幕越しに薄明かりがかすかに射しはじめている。冷気が寝台の下から忍び寄っていたが、眠りに落ちる前に張遼に衣を着せられたおかげで、体はそれほど冷えてもいない。郭嘉がそっと起き上がり、帯を締めなおして寝台を降りようとすると、背後から腰に世話焼きな腕が回ってきた。
「起こしてしまったか。」
と声をかけると、普段よりくぐもった声で返事があった。ずいぶん静かに身を起こしたつもりでも、武人の鋭敏な感覚はその動きを捉えたらしかった。
「……どこへ?」
「戻る。無理を言ってすまなかった。」
離せという意味をこめて腕を軽く叩くと、寝台が大きくきしみ起き上がる気配。次の瞬間、郭嘉は張遼のひざへ仰向けに倒れこんでいた。
「うわ……!」
驚いて見上げた顔はまじめに困ったような表情で、ああ一番好きな顔だとしみじみ思ってしまったために、次の張遼の一言を何の準備もなく受けてしまった。
「あんたの自制心にはいつも頭が下がる。」
「……は!?」
常日頃思っていることを横取りされて、郭嘉が絶句しているとさらに追い討ちがかかった。
「ようやくわかってきた。俺に背中を向けているときは、大抵何かをこらえているときだ。そうだろう。」
もっと無理を言え。この頭にすべておさめてしまわずに。
そう言う張遼の手が額に置かれる。幼子の頃でさえ、郭嘉はこんなにも額や頬に他人の手の温度を感じたことはなかった。自分の手を重ねてみれば、大人と子供のように大きさが違う。
「張遼。今、思っていることを言ってもいいか。」
何でも、という答えを待って、ゆっくりと言った。
「もう一度しよう。」
寛容な微笑に狼狽が色濃くなっていく。郭嘉は笑いながら締めなおしたばかりの帯をといた。
了