寮の廊下ですれ違ったトレジャーハンターは、皆守を見るや「30分後に!」と一言残して玄関から出て行った。
他人に見られたらたちまち通報される物騒ないでたちだが、彼が廊下を通るときはいつもなぜか無人である。
そういうタイミングを嗅ぎ分けるのも、トレジャーハンターとしての資質なのかもしれない。
つかの間、そんなことを考えながら葉佩を見送った皆守は、我に返ってまた歩き出した。
30分後に墓地ということは、今手に持っているレトルトカレーをさっさと温める必要があるということだ。



 11月初旬ともなれば夜は冷える。街灯が照らす道にも落ち葉が増えた。
がさり、と踏みしめて墓地に入った皆守の足を、激しい誰何の声がとめた。
「誰だッ?何用あって、何処へ参る。」
特徴のある言葉遣いは学園広しといえども、一人しかいない。
「B組の真里野か。もしかしてお前も……」
「答えになっておらん。」
すいと喉元に突きつけられた木刀を右手で押しのけ、皆守は前方の和装の男をにらんだ。

「おっまったっせー!あれ?なんか険悪な雰囲気?」
いきなり背後で明るい声がして、その場の殺気を散らした。
校内では騒々しいくせに夜になると気配のない男、葉佩九龍は、皆守と真里野の間に立って双方に手をさし伸ばした。
「言い忘れててごめん。今夜からよろしく。はい握手握手。」
「どういう説明だよソレは。」
「失礼した。まさか貴殿が葉佩殿の盟友だとは思わなかったものでな。」
木刀を腰に戻し、真里野は皆守に目礼した。
その言い方にも何かひっかかるものがあるが、しつこく絡むのも柄ではない。
すっきりしないまま、皆守は二人の後から遺跡へと降りた。



 葉佩は移動中ほとんど足音を立てない。装備品の触れ合う音くらいはしそうなものだが、時折かすかな金属音がする程度で、遺跡の通路に反響するのはいつも同行者の足音のみだ。
 前方で、葉佩が扉を開く音がした。同時に何かがいっせいに壁や床を這う動きが伝わってくる。
「やばい、サソリの巣だ。」
まるっきり緊迫感のない声で葉佩が言った。



 石造りの天井の低い部屋にライフルの掃射音が響き渡る。近くにいたサソリ(とはいえ全長50cmを越えるが)は頭部を撃ち抜かれて絶息しているが、フロアの奥にはまだ数匹蠢いていた。
「あー耳がガンガンする……」
耳栓代わりの指など、何の役にも立ちはしない。顔をしかめる皆守に、マガジンを換えながら後ろを向いて
「オレも。」
と笑いかけた葉佩は、次の瞬間いきなり前のめりになった。
「……う……ッうっぷ……」
「なにやってんだッ」
頭から床に激突しかけた葉佩を、皆守はとっさに抱きとめた。
「ウェ……気持ちわる……。」
皆守の袖をつかんだ手がぶるぶると震えている。初めてみる症状ではなかったが、見るたびにつられて吐きそうになるほど苦しそうだ。
「毒か。」
葉佩の隣にいた真里野が、顔は化人に向けたまま声をかけた。薬は、という問いに葉佩は左手でベストの胸ポケットを探る仕草をする。
「どこに入ってんだよ。まさかこれか?」
着ている本人以外はどこになにが入っているのかわからないベストから、皆守はなんとかそれらしいものをつまみ出した。
保健室で見慣れたビタミン剤の、空き瓶を。
「補充してないのか……!まずいな、やつら動き出したぜ。」
攻撃の要が不調だと見るや、ざわざわと耳ざわりな音を立てながらサソリは移動を開始した。
「拙者が行く。お主はその間、葉佩殿を頼む。」
真里野は木刀を握って、流れるような動作で間合いを詰めていく。
「あんまり近づくなよ?!二人は抱えられな……」
前方に細い糸のような光が閃いた。呆然と見る皆守の前で、サソリは上下に、あるいは左右に分かれて床に転がっていく。
「任せていいみたいだな。座れよ葉佩、そのほうが楽だろ。」
お前らしくないミスだ、という言葉は飲み込んで、皆守は半ば抱えたような恰好になっている葉佩を床に座らせようとした。
だが、袖と肩口をつかんだ手は離れない。
「おい。」
「……やばいときは立ってるほうがいいんだ。」
皆守の肩に頭を預けた姿勢で、葉佩は応えた。座ったら立てなくなるかもしれないから、と小さく言い足す。
荒い呼吸はもう静まりはじめていた。各種の毒に耐性のあるトレジャーハンターの肉体でも、この遺跡に巣くうモノたちのもつ毒には対応しきれないのだと、前に葉佩が言ったことがある。何の訓練も受けていない普通の人間なら、致命傷になる毒なのかもしれない。
 葉佩を支える皆守の腕に力がこもった。
身長も体重も変わらない相手を、ましてやぐったりとした体を支えて立つのは、かなりの体力を消耗する。

 だが、誰がこの手を離せるだろうか。

らしくないのは自分だと皆守が嘆息していると、真里野が戻ってきた。
「おつかれさん。」
「あの程度ならばどうにでもなる。」
気負いのない答えやわずかにほころんだ口元は、以前の刺々しく張り詰めた雰囲気の剣士からは想像のつかないものだった。

―――お前が変えたのか

 頬に葉佩の体温を感じる。この温もりが、《黒い砂》も記憶の封印も溶かしていくのだろうか。だとしたら尚のこと、自分が慣れてしまうわけにはいかない。
「いい加減にはがれろ。もう治まってんだろが。」
後ろ襟をつかんで引っ張ると、葉佩はいかにも渋々と頭を起こした。案の定、顔には生気が蘇っている。
「ばれたか。ありがとな、マリヤ。」
「礼を言われることではない。さて、どうする? 進むも戻るも、お主次第だが。」
「……行けるとこまで行きたいなあ。」
「ならば行こう。」
日本刀をはさんだベルトを締めなおし、一歩踏み出した葉佩はそこで振り向いた。
「甲太郎。」
黙ったまま見返すと、
「お前って、体温低そうなのにほんとはあったかいな。支え係決定。」
「はぁ?」
ほんの少し前まで一人で立つこともできなかった彼は、辺りを照らさんばかりの笑顔を見せるとフロアの出口に向かい、とうに扉の前で待っていた真里野に話しかけている。

 重さから解放された腕や肩が妙に心細い。取り出したアロマパイプをくわえれば、火がついていなくてもほのかに香るラベンダーが、ざわめく胸の内側をぼんやりと煙らせて不必要な感情は霧散させてくれる。
両手をポケットに突っ込み、さあ行くかと皆守が顔を上げると、何か言いたげな真里野と目が合った。



「今夜もおつかれさまでしたッ。」
男子寮の玄関で、葉佩がわざとバカ丁寧に頭を下げる。首にかけた暗視ゴーグルがぶらんと揺れた。彼の部屋は主に《転校生》に割り当てられる一階の角部屋で、三階に部屋がある真里野や皆守とは玄関で別れることになる。
「じゃあな、また明日。胃薬補充しとけよ。」
「面倒見いいなあ、甲太郎は。サンキュ、マリヤもおやすみッ。」
「おかげでいい鍛錬になった。御免。」
低い声のやりとりの後、葉佩の背中を見送って彼らは階段を上がった。

「……お主は戦わないのか。見ているだけが能ではあるまい。」
「俺は見物だ。くれぐれも戦力には入れるなよ。」
「何を思って眠らせておるのかは知らぬが、もったいない話だ。」
「買いかぶりもいい加減にしてくれ。」
うるさそうに顔の横で手を振り自室の鍵を開けようとした皆守は、いきなり吹きつけてきた凄まじい殺気に、とっさに身構えた。
「―――ッ!何のつもりだ……ッ」
一瞬で場に満ちた殺気を何事もなかったかのようにまたその身に収め、隻眼の剣士は静かな微笑を浮かべている。
「拙者を見くびるのは勝手だが、葉佩殿まで同じだとは思わぬことだな。では、御免。」
寝静まった廊下を、懐手で歩いていく後姿には微塵の隙もない。


―――どいつもこいつも勝手なことを言いやがる

 殺風景な部屋のベッドに転がり、天井を見上げて舌打ちした。
自分が戦うときがくるとしても、立つ位置は決して葉佩の隣ではない。
 図々しくて抜けていて人一倍タフな、曇りのない眼の侵入者。
心に張り巡らせた鉄条網をするすると突破して核心に近づいてくるあの男を、どうしたら傷つけずに排除することができるのか。屋上で寝転んでいるときでさえ、それが脳裏から去らない。

 できることならこのまま、アロマを吸いながら彼を背後から見守りたいと、心底願っているというのに。

脱ぎ捨てた上着に手を伸ばし、アロマパイプを探る。ライターも一緒に取り出して火をつけ、香りを深く吸い込んだ。
ポケットに取り残された携帯が抗議するように鳴った。
「メールか……」

葉佩からだった。おつかれ、だとか胃薬のストック切れてた、だとか。ほんの数行続いたあとには、

『おやすみ、いい夢を』。

他愛もないメールのやり取り、憎まれ口を叩きあいながらの探索、そんな葉佩との生活こそが皆守にとってはいい夢だったと、彼はいつか知るだろう。
夢はいつか覚める。おそらくさほど遠くなく。
さっさと寝ろ、と返信しようとした途端、もう一通メールが届いた。
差出人を確認しようとした指先が一瞬止まる。

『進捗状況を報告せよ』


どちらにも返信はせず、電源を落とす。
この現実が夢ならば、せめて眠りの中では闇に閉じこもりたかった。






戻る