ようやく目が慣れてきて、私は店の中を見回した。
地下にあるこの店はただでさえ暗いというのに、光量をぎりぎりまで絞っているので、手元のグラスさえ輪郭があいまいだ。
 連れの刑事と探偵は私に背を向けて、カウンターの中の女主もまじえて話し込んでいる。なぜかひどく喉が渇いており、私はグラスの水を一気に飲み干した。
「起きたなサル!酔いザル!わはははは!」
陽気すぎて不穏な声が、頭の中で渦を巻いた。
「……僕は寝てたんですか?」
では私は目が慣れてきたわけではなく、目が覚めたのだったか。
「自分が起きてるか寝てるかもわかんねェのかボケ。クソボケ。」
酔っている旦那はいつもに輪をかけて口が悪い。猫のような女主は、
「よっくそれで拘留もされずに復員できたわよねェ……」
くにゃくにゃになって笑っている。

「こいつは悪運だけはいいんだ。ばんばん砲弾降ってきてるッてのに、この隊長殿は腰が抜けて動けなくなっちまってな。もうだめだな、こりゃ死ぬなと思ったら、三尺手前で敵さん弾切れになったみてぇでよ。引き上げてくれた。」

いや、一思いに死ねなかったってこたぁ運が悪かったのか、とかつての部下は独り言のようにつぶやく。確かにそんなことがあった。鼓膜が破れるような轟音、へし折れる木々、土塊が舞い上がり私は座り込んだまま動けなかった。だがあのままならやはり死んでいたはずだ。

――逃げるぞ

――つかまれ、怖けりゃ目ン玉閉じてろ

たくましい腕が私を、



「ふうん。」

視線を感じた。

榎木津が視ている。

薄茶色の硝子のような目をすうっと細めて、私の記憶を視ている。



 いつだったか、京極堂の座敷で主に話したことがあった。

――エノさんがね、南方にいたときのことをやたらに聞きたがるんだ。そんなところまで遡って人をバカにしなくてもいいと思わないか?

――別にあの人はそんなことを考えちゃいないよ。ただ、その当時のことを話すと結果的に君の情けない隊長ぶりがさらけ出されるってことだろう。

本から顔も上げずに彼は答える。私はしばし混乱する。

――じゃ、じゃあなんでエノさんは……

――だからさ。その決断力も行動力も落ち着きもない隊長殿が無事に復員できたのは誰のおかげなんだい。




「どうしたよ。あんまり挙動不審だと逮捕するぞコラ。」
木場に軽く小突かれて、私はあいまいな返事をしながら手の中のグラスへ視線を落とした。

 榎木津が視ているのは、私の記憶の中の、彼の知らない木場の姿――



つづく



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