じゃーん!と言いながら孔明が取り出してみせたのは、白い封筒だった。梨地に金のエンボスのふち
どりが、やたらと高級感をかもしだしている。
だが徹夜明けでかすむ龐統の目には、それだけ読み取るのが精一杯だった。とくにコメントもなくソ
ファに撃沈すると、容赦なく孔明に揺さぶりをかけられた。
この場合、ゆさぶりとは心理的なものではなく、物理的に肩に手をかけてゆっさゆっさされることを
言う。
「これなーんだ!」
「知らん……頼む、寝かせ……」
「こんなとこで寝たら風邪ひくから駄目。この部屋、なんか寒いし。」
それは灯油を買いに行くのが面倒でヒーターがついていないからだ。エアコンは、この前うっかり倒
したビールにリモコンが浸ってから反応しない。
変な気候で寒くなったと思ったらまた暖かくなるものだから、なんとなく灯油を買いそびれているう
ちに、もう12月も残り10日ほどになってしまった。いやそもそも今日は何日で何曜日だったっけかと
考えかけたが、ずぶずぶと睡魔に足を取られていく……。
「だからー、こんなところで寝たら駄目。」
そういうと孔明は、うつぶせの龐統の背中におもむろに腰を下ろした。ずし。
「起きてホラ。まだ夕方だし。」
「重い……」
「失礼な!……あ、でもまたウェイトトレーニング始めたからちょっと重くなったかも。」
でも別に太ったってわけじゃないんだけどね、見る?と孔明はダウンジャケットを脱ぎ始めた。
「いいから降りていただきたいんですが。」
「ケチ。」
泥のような眠気は遠のき、今の龐統は普通に眠い状態だ。年末進行という名の地獄のせいで、ただ
でさえ無茶なタイムスケジュールが無茶苦茶になり、この一週間は昼も夜もなかった。
一仕事終えてふらふらとリビングのソファにたどり着き、ばったり倒れたのが昼の二時ごろで、そ
の頃まだ外は明るく南向きの部屋はわずかに暖かかったから、ついうとうとしてしまったのだ。時計
を見ると四時になっていた。
半端に寝てしまってぐらぐらする頭を、ソファの背もたれに乗せてなんとか座りなおすと、投げ出
した足をまたいで孔明が膝の上に乗ってきた。
「重いって。」
「でも筋肉あったほうがいいでしょ。」
「……どっちでもいい。」
正確には、どうでもいい。だいたいウェイトトレーニングを再開したのも、先日二人で歩いていると
きに老紳士に道を聞かれて、孔明が教えたらありがとうお嬢さんと言われたからなのだと、龐統はう
すうす気づいている。笑顔のまま固まっていた孔明は見ものだったが、きれいに毛先を巻いていた髪
は翌日ストレートになっていた。ちょっとだけ残念だった。
「くま浮いてる。」
「あー……」
ちゅ、と目元に唇があてられてくすぐったさに目を閉じると、柔らかい唇は勝手に移動していつの間
にか濃厚なキスが始まっている。疲労メーターを振り切って逆の方向にスイッチが入っているのか、
キスだけで驚くほど気持ちよくなってきて、思わず頭を抱き寄せると孔明の肌の匂いがした。夜気に
漂う沈丁花のようなかすかな匂い。しんと冷えた部屋の中でその匂いをかいでいると、まるで夜の中
にいるようだった。
寒いけどここでいいか、と孔明がつぶやいた。うなづいて龐統が手を離すと、孔明は着ていた黒いタ
ートルのニットを思い切りよく脱ぎ捨てた。下には何も着ていない。龐統は腹筋に触れてみた。
「お、成果出てる。早くないか?こんなに早く硬くなるか?」
「うんその言い方、卑猥でいい感じ。筋肉つきやすいのは体質だと思うけど。」
ていうかこの体は筋力なさすぎ、と言いながら脱がそうとする孔明と触ったり触られたり、さあだん
だん盛り上がってまいりましたというところで携帯が鳴った。
「あ!」
珍しく孔明があわてて出ている。よほど大事なことを忘れていたらしい。
「……うん、出席で。……うん、うん、そうなんだ、じゃあえーと、ご、5時、いや6時、6時で。うん
。はい、じゃあまた後で。」
電話を切って、床からニットを拾い上げた孔明は、ごめんなさいと龐統に手を合わせた。
「明後日の打ち合わせ忘れてた!これから南青山まで行かないと。」
「明後日?」
「あ、それも忘れてた。」
最初に取り出したっきりでテーブルの上に置き去られていた白い封筒を持ってくると、
「はいこれ。23日のクリスマスパーティーの招待状。」
なんという不穏な響き。
「念のため言っときますけど、ヒゲ、剃らないでね。仮装できなくなっちゃうから。」
仮装はハロウィンじゃないのか。しかも参加は決定済みなのか。
「もしかしてこのパーティーって、あれか、去年店から追い出されて全員出禁になって、今もまだ解
除されてないあれか。」
去年はどうしても仕事の都合がつかず龐統は不参加だったが、もともと人の集まる場所は苦手なので
とくに残念でもなかったし、パーティーの模様も聞かなかった。
恐ろしい有様をかけらだけ耳にしたのは、たまたま開催場所になった店の常連が知り合いにいたから
だ。
「えーなんかそう言われると語弊があるなあ……間違ってないけど。でも今年は友達の店借り切った
から大丈夫!」
「……明後日は急用が……。」
「目を見て言って下さい。」
「……」
「ま、そういうこともあるかなーと思ってー。秘密兵器を用意してありまーす。」
木牛でも出てくるのかと思った龐統に、孔明は携帯のメール画面を差し出した。
日本酒、ワイン、ビール、ウィスキーの銘柄と数字の羅列で、もしこの数字が本数だとすると出禁を
くらうような騒ぎになるのも納得できる量だった。いったいどうやって冷やすのだろうか。
「これは今回郭嘉さんが手配したアルコールのリスト。ここらへんとか、興味あるんじゃないかって
言ってましたー。」
ボウモア37年。
ラフロイグ30年。
ポート・エレン27年。
そういえば以前一緒に飲んだ時に、アイリッシュウィスキーが好きだと言った気もする。それを覚え
ていて、わざわざ手配してくれたのかという感動の前に、そのラインナップに目を奪われた。
飲みたい。
「飲みたい?」
「……」
「行かせてくださいって言えたらこの招待状あげまーす。」
「いちいち語尾伸ばすな。」
「で?」
「…………行かせてください。」
いきなり孔明が携帯を奪い返し、真顔で言った。
「ちょっと待って、もう一回言って。録音して着うたにするから。」
こういう思考回路は絶対自分には備わっていないとおもいながら、龐統は黙って壁の時計を指差した
。もう5時を過ぎている。
「うわ、行かないと。あなたが変な強情張ってるからこんな時間に。帰ってきたらすぐ続きするんだ
から、部屋あっためといてくださいよー。あ、脱がせたいから服はそのままで」
「早く行け!」
ばたばたと孔明が出て行った後、龐統はもちろん灯油を買いに行ったりはせず、5分後には寝室で寝息
を立てていた。
続きます