炭じゃなかった!というのが郭嘉のところから帰ってきた孔明の第一声だった。
「なにが。」
冷蔵庫からキリンラガーを取り出す龐統に、リビングから声が追いかけてきた。
「炭じゃないんですよ!電気!」
「……焼き鳥?」
「はあ?!何言ってんですか、今誰もつまみの話なんかしてませんよ。」
ニット帽をソファに放り投げたあと、自分もその上にどかっと腰を下ろした孔明は、手袋もダウンジャケットもぽいぽい床に脱ぎ散らかしてまた突然立ち上がり、ここしかない!と宣言した。
困ったことに特段テンションがおかしいわけでもなく、いつもこんな感じである。もう慣れ切っている龐統が缶に口をつけながら動きを目で追っていると、孔明は急に振り向いた。
「ね!」
「……焼き肉?」
「ビール関係から離れてくれませんか。」
こたつですよこたつ!と孔明はハイテンションに叫んだ。
「さっきから言ってるでしょ!こ・た・つ!」



 大晦日の電器屋なんか来るもんじゃない。
龐統はこの1時間足らずでもう何度そう思ったかわからない。
そもそもこたつなんて近所の商店街にも売っているのに、大きな電器屋で選びたいという孔明のわがままに引きずられて都心まで出てきてしまったわけだが、ここまでの覚悟はしていなかった。
まず入り口のスマホ売り場の人の波を抜けるのに一苦労し、テレビ売り場にさしかかったとたん孔明が姿をくらました。日本語に聞こえないほどの売り込みの大喧騒の中では、携帯の着信音は無力だ。しかたなく一番人ごみのできているほうへ向かうと、案の定、大型液晶テレビのモニター前の人垣に目当ての長身を見つけた。
「買う気もないくせに、一番いい位置で見てどうする。」
ずるずる引きずってエスカレーターに乗るころにはかなり汗をかいていた。
それからも関係ない階で降りようとする孔明を引きとめ引き止め、なんとか6階までたどりつき、そこであらためて大晦日の電気屋なんか来るもんじゃないと思い直したのである。
「あったあったこたつ売り場!何型がいいかな。」
何型ってなんだという龐統の視線を正確に理解して、孔明はしゃらっと言った。
「だからー、ハート型とかクローバー型とか。いろいろ調べてきたんだけど、二人用ならわりとどんな形でもいけるみたいですよ。」
こたつにハート型なんてそんな馬鹿な話が、と売り場を見ると、本当に並んでいる。
ハート型、クローバー型、雲型、丸型、まが玉型の天板が、ポップやパステルやファンシーな色合いでずらっと並び、龐統は【こたつ売り場】の看板を二度見せずにはいられなかった。
「ありえん……」
もちろんそんな場所で品定めをしているのは、若いカップルか女性客で、アウェイ感も半端ない。
「四角でいいと思うんですが。」
と提案してみると、孔明は真顔で振り返った。
「なんで。」
「どんな形でもいいんなら四角でいい。」
「屁理屈でしょそれ、四角なんて普通じゃないですか!」
だから普通で何か不都合があるのかと言いたい。
「あのな、一人でいるときに部屋にこれがあったら、ものすごく落ち込むぞ。」
今まさにそのピンクのハート型の天板のこたつを指差していた男連れの女に鬼のような形相で睨まれたが、その甲斐あってか、孔明も少し考え直したらしい。
「なるほど……じゃあ、一緒に住みますか。」
「妥協するのはそこじゃない。じゃあ四角のをこっちに置く、それ以外の形は自分の家に置く。これでどうだ。」
事態は解決に向かって動き出すかと思いきや、孔明はこわい顔をして龐統を見た。
「私、炭じゃなかったって言いましたよね。つまり私の実家は掘り炬燵なんです。炭なんです。」
それ時代劇で見たことあるとは思ったが黙っていた。孔明は言いたがらないが、実家は所沢では有名な旧家なのだそうだ。あちこちに借家やアパートを持っていて、働かなくても暮らしに不自由がないという浮世離れしたご身分である。家柄も古いが家も古く、メンテナンスは建てた大工の家系がずっと引き継いでいるらしい。
「炬燵に炭を足すのは子供の頃から兄の仕事で、今でもそうなんです。だから電気で動くこたつなんて買って帰ったら、私たぶん追い出されちゃうんですよね。そうしたら責任とってくれるんですか?」
「脅しなのかそれは?!」
しかし人間、どうしても譲れないモノというのはあるのだ。たとえそれが信念でも大義でもなく、こたつの形状だったとしてもだ。

 結局、孔明が折れた。
ぼそぼそぼそぼそ繰り広げられた舌戦の末、家主の意向最優先攻撃の前に、第一次炬燵形状戦は終結を迎えた。
「じゃああれ、あの四角の、三割引のでいいです。四角いほうがいちゃつきやすいかもしれないし。そのかわりこたつ布団は私が!」



 孔明はこたつ一式とこたつ布団一式を左右の手に軽々と提げて交差点を歩いている。歩くたびにさらっさらの髪がなびくので、けっこうな確率で通行人に振り返られているが、本人はまるで気づいていないようだった。
 電器屋のこたつ布団コーナーは非常にノーマルな無難なヤマっ気のない品揃えで、孔明は雪模様の布団を選びはしたもののなんだか不満げな表情だったが、龐統としては助かったとしか言いようがない。
交差点をわたりきったところで、龐統の携帯が鳴った。徐庶からだった。
『毎年のことですが母がおせちを作ったので、今日お届けしてもよろしいですか?』
「あー悪いな、いつも。いただきます。そうだな、あと1時間くらいで戻るから、ああ今外だから。いや用というか……ああもう帰るところだから。」
1時間後に、と言って電話を切ると孔明がまた見当たらない。あの大荷物でどこへ行ったのか、とりあえず前方に人垣を発見し、龐統は急ぎ足でそちらへ向かった。





「できたー!」
孔明がぱちぱちと手をたたいた。
テレビとソファの間にあったテーブルを、脚を外して片付け、そこにこたつを置いて布団をかぶせると、多少歩きにくくはなったものの、スペース的にはどうにか収まった。
さっそくもぐりこんだ孔明は、あったかくないと言って龐統を見上げた。
「電源入れてないからな。」
「はっやっく!電源はっやっく!」
「入れてすぐ温かくなるわけじゃないぞ。」
とは言いつつも、こたつなんて何年ぶりだろうと龐統も入ろうとすると、ダイニングのテーブルで孔明の携帯が鳴った。もそもそと入れ違いにこたつを出た孔明は郭嘉さんだ、とつぶやいた。
「はーいもしもし。え?……え?!なんで?!え、それはいいですけど、今どこですか。」
なにやら不審な会話をしている孔明をよそに、こたつはじんわり温まってきた。もうすぐ徐庶が来る時間だ。毎年大晦日に、母親お手製のおせちを運んできて車だからと酒も飲まずに帰っていく。母一人子一人の暮らしなので彼が帰らないと母親が一人で年越しをすることになってしまうからだ。
「じゃあまたあとで。」
電話を切った孔明が怖っと言った。
「いきなり『こたつもうできた?』って、あの人ほんとに怖い。」
脳内に広がりかけていた煮しめや昆布巻きや数の子が霧散していく。
「それはたしかに怖い……。」
「で、ちょうど近くにいるからこれから来るって。」
「あー箱を片付けないと。」
「迎えに行かないと。」
「あー」
「あったかああい」
徐庶がインターホンを鳴らさなければ、立派なダメ人間が二体できあがってしまうところだったので、迎えいれられた彼はたいそう感謝された。


「こたつですか、いいですね。」
いただきものがあったので、と徐庶は木箱を天板に置いた。うらかすみ大吟醸と書いてある。龐統は両手で押し戴いた。こたつの入っていたダンボールを寝室に蹴りこんで徐庶の場所を作っておいて本当によかった。
そこへ、玄関のほうから声がした。郭嘉を連れて孔明が戻ってきたらしい。廊下を歩きながらこちらへ何か言っている。
「盗聴器はつけてないってー。」
「当たり前だ当たり前だ。何のメリットがあるんだ。むしろ君の言ってることを四六時中聞かされたら頭がおかしくなる。そういう意味では」
君を尊敬する、とリビングに入ってきた郭嘉は龐統に言ってにっこり笑った。彼は孔明の大学時代の先輩で、今は半官半民の企業のナンバー2だという
徐庶と初対面の挨拶をすませてこたつに落ち着くと、天板に置かれた木箱を見て郭嘉はややっと目を光らせた。
「これはまた結構なものが。」
「あ、おみやげ?おせちだけでいいのに。」
上からのぞきこんだ孔明は、酒飲み二人を牽制しているらしい。ああそうだ、と言いながら郭嘉が風呂敷包みをほどくと、出てきたのはまた木箱だった。
「こんなこともあろうかと買ってきてよかった。長崎のからすみだ。」
「からすみってつまみじゃないですか。私が嬉しいものないんですか。」
「みやげにダメ出しされるとは思わなかったな。」
「ありがたく戴きます。」
じゃあさっそく、と木箱二つを持ってこたつを出ると、徐庶がお手伝いしますと立ち上がった。
「この酒はちょっと冷やしたほうが美味しいようなので、今召し上がるなら氷につけましょう。ああこれはいいからすみですね。このまま切っていただくのが一番いいでしょうね。」
龐統がうなずいている間に酒の支度が出来上がり、薄く均等にスライスされたからすみが皿に並んだ。
「あ、冷蔵庫にぬたがある。」
ラップのかかった小鉢を取り出して見せると、徐庶はそれもトレイに乗せた。
「取り皿こちらでよろしいですか。ではお酒だけお願いできますか。あとは私が運びます。」
手際といい仕切りといい鮮やかなものだが、龐統は徐庶の母親が一人息子がいつまでも独り身であることを嘆いているのを知っているので複雑だった。手際がよすぎると嫁は来ませんとは言いにくい。
 酒器を持ってこたつへ戻ると、孔明が郭嘉からねだりとったらしいチョコレートを食べていた。小さな布張りの箱に小さなチョコレートがひとつずつ並んでいる。甘いものにうとい龐統が見ても、名のある店のものなのだろうと思う。口の端を茶色くしてほおばっている孔明にとっては、どうでもいいことなのかもしれないが。
「あ、これお酒きっつい。でも美味しい」
「文句の多い男だな。」
「チョコなんてどこでもらったんですか。バレンタインじゃあるまいし。」
「奥方様のおすそわけだよ。」
チョコを見ている郭嘉の目つきで、彼も甘いものを苦手としていることがわかる。龐統が運んできたぐい呑みと氷に浸けた徳利を見ると、その目は対照的に輝いた。続いて徐庶がつまみを並べる。ささみのぬたを見て、孔明が、それ私のと声を上げた。
「君は酒を飲まないのにぬたを食べるのか。」
「ご飯にのせると美味しいですよ。」
チョコレートを食べながらよくぬたと飯の話ができるなと思いながら、龐統が烏龍茶を持ってきて2つのグラスに注ぐと、郭嘉は徐庶とグラスを見比べたが、車なのでと言われてうなづいた。
孔明が景気よく烏龍茶のグラスを持ち上げる。
「はーいじゃあかんぱーい!」
「乾杯。」
「そうだ、酔っちゃう前に聞かないと。何でこたつ買ったのがわかったんですか?」
「旨い……っ!飲むわけにいかない人を前にして申し訳ないが、旨い。もう一杯いいか?」
「お気遣いなく。またの機会にお相伴させていただきますよ。」
徐庶が注いだおかわりをきゅっと飲み干して、郭嘉は猪口を置いた。孔明を完全スルーできるのは彼くらいなものだ。
「今日は一日外回りだったからな、本当に沁みるよ。」
まるで営業職のようなことを言う。
「だからちゃんと教えてくださいよ、怖いでしょ。」
「なんでって、君たちの後ろにいたからだよ。」
「ええ?!いたんですか?売り場に?!」
違うよと郭嘉は言った。
「交差点。信号待ちで止まってるところに、えらく目立つ男がこたつって書いてある箱を提げて歩いてた。」
「ああ車で。」
空の猪口に酒を足すと、郭嘉は龐統に目礼しながらまた一息に飲んだ。
「今年はほら、忘年会がなかっただろう。」
「クリスマス会ですよ。あなたのとこの社長が全員連れてっちゃったからじゃないですか。」

 毎年、大人数でクリスマス会だか忘年会だか趣旨のあいまいなバカ騒ぎを開催していて、龐統も一度参加したことがあるが、今年は中止になった。人数が集まらなかったからだ。
郭嘉の上司であり、参加者大部分にとっての社長が、自分が誘われないことに腹を立てたものか、幹部社員全員を引き連れて12月の23日から元旦までサイパン旅行をぶち上げた。費用は会社持ちで、通常より約一週間早い仕事納めに現場は大分どたばたしたらしいが、こうと決めたらやり遂げる男なのだそうだ。
もちろん幹部社員である郭嘉は、
「せっかく冬だというのに、わざわざ何時間もかけてあんな暑い場所へ行く気がしれない。」
という理由で日本に残っている。龐統も暑さは苦手なほうなので、その意見には賛成である。

「そんなわけで奥方様の年の瀬のご挨拶周りのお供が運転手以外誰もいない。やむをえずご一緒して朝から車で周っていたら、目の前を君たちが通っていったと。」
本来お供はボディーガードも兼ねてるわけだから私がついていっても仕方ないんだが、と郭嘉は苦笑いする。
ご挨拶周りとは、紋付姿の奥方様が、数いる夫の愛人宅や店を菓子折り持参で来年もよろしくと回ることだと聞いて、郭嘉以外の三人は女はわからんという顔になった。
わからんが、間違いなくその場にはいたくない。





 誰かの話し声でぼんやりと目が覚めた。こたつでそのまま寝ていたらしく、肩に毛布がかけてある。
「だから今年は帰らないって言ったでしょう。……それは行きますよ、でも昼からでしょ?」
声を低くして孔明が電話をしていた。起こさないよう気を遣ったのか、彼がいるのはリビングの端、床暖房がぎりぎりで届く範囲だ。聞かれたくない話かと思い、龐統は目だけを動かして壁の時計を見た。
11時45分。思ったよりも早い。飲み始めたのが5時ごろで、そのあと郭嘉が注文しておいたという寿司が届き、徐庶が少しだけつまんでから帰った。そのあと三人将棋という無茶苦茶なルールの将棋が始まり、考案者の孔明が一人勝ちして、そこから龐統の記憶は曖昧になってきた。酒に弱いほうではないのだが、郭嘉と飲んでいると二人ともつぶれるまでいってしまう。

 そういえば郭嘉はどうしたのだろう。部屋の中には孔明と自分の気配しかないことに気づいて、龐統はうっかり起き直ってしまった。すぐに孔明がこちらを見た。
「じゃあこれから初詣なので。よいお年を。」
孔明は通話を切った携帯をソファに投げて、龐統の肩からずり落ちた毛布をかけ直した。
「そろそろ起こそうかと思ってました。」
「どれくらい寝てた?」
「30分くらいかな。郭嘉さんがどうしても帰るっていうから、車呼んでる間に二人とも寝ちゃって、さっき下まで運んでいったんですよー。」
なんだっけ、と寝ぼけた頭で思い出してみると、
「成田か。」
「そうそう。起きられればいいですけどね。」
戻ってくるサイパン組を出迎えに行くと言っていた。しかし今回は、お目付け役兼同居人も連れて行かれたため、痛飲していた郭嘉が午前中に成田に着けるかどうかは怪しかった。
「私も昼から実家の用で、いったん帰ります。せっかくこたつ買ったのに、ちっともいちゃいちゃできない。」
「それはこたつの主要目的じゃないな。」
さて初詣行くか、と立ち上がって伸びをしたところに鐘の音が聞こえてきた。近所の寺で除夜の鐘を撞き始めたのだ。


「なんだか人が多いですね。」
外へ出て、孔明が言った。深夜の路を、厚着をした人々が三々五々固まりながら同じ方向へ歩いている。寺へ近づくにつれて人数は増え、着いてみれば参道の外まで行列になっていた。がやがや交わされる話し声と鐘の音で、互いの言葉も聞き取りづらい。
「去年とまったく違いますけど……」
「今年はそれだけ新年が待ち遠しいんだろう。」
「あ、次で最後ですよ。」
「数えてたのか……」
そこで龐統は大事なことを思い出した。去年の春に越してきて除夜の鐘が二度目、ということは来年(すぐに今年だが)の春にはマンションの賃貸契約が切れる。
「引っ越すか。」
「え?なんか言いました?」
今のマンションは立地に不満はないが、二人で住むには少し狭い。そう言おうとしたとき、新年を告げる百八つ目の鐘が響き渡った。
 その瞬間、周囲の親子連れは笑顔で拍手をし、カップルはキスで老夫婦は手を取り合って、新年の到来を祝った。
「あけましておめでとうございます!」
「あけまして」
孔明がむぎゅっと抱きついてきたので、龐統のおめでとうございますは孔明のダウンに吸われたが、冷え切った唇に同じく冷えた生地の感触は心地よかった。
 人の波はゆっくりと進んでゆく。新年だという心のありようひとつで、さっきまでの夜がまるで違って見えてくる。そう思う傍ら龐統は、帰ったらこたつに入ろうと考えていた。いろいろ決めるのも話すのも、まずはこたつで暖まってから。
 だが何の気なしに孔明を見ると、彼はにっこり笑っていた。まさかとは、まさかとは思うが、全部想定済みなのかもしれない。そして孔明ならそれくらいはあり得るとも思ってしまう。だとしても、こたつを買ったことは後悔していない。何年ぶりかに人と入るこたつは、本当に気持ちよかったからだ。








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