午後11時、インターホンが鳴った。一度手に持ったカップ麺の容器をキッチンにおいてモニターを見ると、マンションのエントランスに大きな紙袋を抱えた孔明が手を振っていた。ロック解除して30秒経たないうちに今度は5階にある部屋のドアチャイムが鳴る。いつもいつも、どういう経路なのか不審に思いつつも龐統はドアを開ける。
「寒かったー!」
「鍵は。」
渡してあるのになぜか毎回チャイムを鳴らすのだ、この男は。
「開けてもらうのがいいんですー。」
靴を脱ぐためにうつむいた口元で、丁寧に巻かれた毛先が揺れた。

これお土産、と言って渡された紙袋の中には画伝が入っていた。しかも箱入りの豪華版。
「ああ宣伝行ってきたのか。」
「宣伝?」
孔明はきょとんとしている。
確か今日は画伝完成と宣伝を兼ねたお披露目だったはずだが。呼ぶ人間を根本的に間違ってると思いながら、龐統はそれを仕事場兼テーブルの上に置いた。箱入りの本を自分で取り出すことは現状難しい。
「他に誰が来てたんだ?」
キッチンでコーヒーの支度を始めている孔明に聞くと、お猿さんと魏の人、という大雑把な答えだった。湯はもう沸いていたのですぐにいい香りがしてくる。コーヒーのためではなく、カップ麺のために用意したものだったが、孔明が来る前に食べられなかった時点でカップ麺はあきらめている。
およそ食べ物を食べているとは思えない目で見られるからだ。

「あ、郭嘉さんが治ったらまた飲みに行こうって言ってましたよ。」
「治るまで待たなくてもいいって言っといてくれ。」
龐統の左腕は副え木と包帯でぐるぐる巻きになって首から吊られている。二の腕を事故で折ってから三週間経つが、少しの震動でもまだ響いて痛むので、椅子に座るだけでも気を遣う。やりかけの仕事のファイルを開いたままのノートPCの前に座りなおすと、孔明がカップを持ってきた。

「そうじゃなくて、郭嘉さんがインフルエンザなんです。」
「インフルエンザ……」
そんなのもあったなとぼんやり考えながら龐統はコーヒーをすすった。
「少し早くないか?」
「病院行ったら今年一番ですって言われたって。電話してたのは5分くらいですけど、ずっとゲホゲホしてましたよ。」
小柄で細身の、あまり体力がありそうには思えない体格だったから、本来なら電話で飲みに行く話などしている場合ではないのだろうが、気持ちはよくわかった。龐統も骨がくっつきにくくなると言われて医者に過度の飲酒は禁止されているが、禁止されるといつもよりも飲みたくなる。
 普段からほとんど酒を飲まない孔明はあっさり話題を変えた。
「鍋に煮物がありましたけど、あれってもしかして……」
「ご母堂お手製だ。朝、徐庶が持ってきて他にもいろいろ置いてった。」
コラーゲン補給のための手羽先と卵の煮物と、ビタミンCとAとカルシウムとマグネシウムのサプリメント、リハビリの本。昔からの友人の母はやはり昔なじみで、怪我をしたと聞くと実の息子に対するように心遣いをしてくれる。
「あーやっぱり!美味しそうだったから、そうだと思った。あっためましょうか?ご飯まだですよね。」
ガスコンロのそばに置かれていたカップ麺が意味するところを、当然孔明は悟っていたらしい。
食べるというと席を立ってキッチンに入っていった。
 龐統がノートPCの画面に目を落として、どこまで仕事を進めていたか確認していると孔明の声がした。
「明日病院何時ですかー?」
テーブルの上からがさがさと探し出した診察券を裏返す。
「二時。」
「はーい。」
通院するようになった時点で龐統自身はタクシーを使うつもりでいたが、光の速さで却下した孔明は毎回車で送迎してくれている。
「いつもすまん。」
ふと口にしてみると、木ベラ片手の孔明が胡乱な顔をキッチンからのぞかせた。
「うっわ何それ!フラグ?縁起でもない!」
「……。」
まあありがたいことに変わりはないし、と龐統は自分に言い聞かせた。


「片手でセロファン破るより、ガス点火のほうが絶対簡単だと思いますけど?あんなの食べないで、ちゃんとこっち食べればいいじゃないですか。」
皿まで熱くなった煮物を龐統の前に置きながら説教中の孔明に、
「一人で食っても美味くない。」
と答えて箸を取った。じっくり煮込まれて飴色になった鳥手羽は、骨から簡単に身がはずれる。
視線を感じて孔明を見ると、妙に赤い顔をしている。
「それってプロポーズ……?」
「いや全然。」
「あーかわいくない。」
どんっと置かれた小皿には、形も大きさも様々なサプリメントが山盛りになっている。
「全部?」
「早く治してください。もうずっとしてないんだから。」
「そこか。」
それはともかく、なれない片手生活は不便極まりないので早期回復を目指すことに異議はない。
今だって、ビールすら飲んでないのだ。回復のための努力は認めて欲しい。
煮卵も白身の内側まで色がしみていて、充分に煮汁を吸った黄身は粉っぽくとろけるという不思議な食感になっている。
一人で作りおきの料理を温めて食べるという普通のことを、えらく侘しく感じてしまったのは、孔明が前にもまして入り浸るようになったからだ。甲斐甲斐しく介護するわけではなく、雨の日は一日寝ていたりするが、そのおかげで三週間ものあいだほぼ同居状態でいられるのだと思う。

 かゆいところに手が届くような世話のされ方は、性に合わない。
たとえばサプリメントを、一つ一つ飲み込みやすい大きさに割って出されたら、と考えるだけでも無理だ。けが人としては極わがままな部類だが、他人を受け入れる門口が、龐統はたぶんわりと狭い。
 孔明はその狭い間口をいつの間にか通り抜けて奥座敷で勝手に茶を飲みながらテレビを見ているような、変な位置におさまっている。

「……見てたら食べたくなってきちゃった。すっごいコラーゲン。」 
「美味かった。」
作ってくれた徐庶のご母堂と温めてくれた孔明にご馳走様でしたと言って皿を片付けると、孔明が今ので少し骨がくっついた、その分だけチューしろと騒いでいる。
理屈がまるでわからないが、とりあえずしておいた。





劇終



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