サンジが厨房に戻ったのは2時半だった。他のコックたちはとっくに料理に取りかかっていたらしく、オーブンとシンクの間を忙しく動き回っている。スーツの上着を脱いでイスの背にかけ、シャツの袖をめくって手を洗うと、サンジは小麦粉を取り出した。
「現在3時45分だ!4時になったら各自料理をトレイに載せて食堂まで運べ!」
焼き上がりを待っているサンジの横で、カタギに見えないコックの一人が、偉そうな口ききやがってと吐き捨てた。
何気なくそちらを見ると、その男もサンジを見、ニヤッと笑った。
「兄ちゃん、見覚えがあるぜ。赫足のゼフのレストランにいただろう。」
「・・・俺はあんたを知らねェけどな。」
「行ったのは1回だけだ。だがあのレストランには命を救われた・・・だから教えてやる。このコンクールが終わったら、さっさとここを出るんだな。悪いこたァ言わねェからよ。」
サンジは黙ってうなづいた。ここを狙うのは麦藁海賊団だけではないようだ。近衛兵に多少の海賊が増えたところで相手にするのに不安はないが、住民を巻き込みたくはなかった。
 やがて、4時を告げる鐘が鳴った。コックたちは盛りつけた料理を黙々とトレイに載せ、厨房を出る。
サンジはその列の最後に並んだ。

「モンタナ様のお出ましである!一同礼!」
ばかばかしい、と思いつつおとなしく頭を下げる。衣擦れの音がし、香水があたりに漂った。
「頭を上げよ。」
若い女の声がした。顔を上げたサンジは、豪奢なドレスをまとった黒髪の美女を目の当たりにした。
他のコックたちも驚いたらしく、料理をテーブルに並べる手つきがぎこちなくなっている。
「最後はお前だ。」
執事に促され、サンジは銀の蓋をかぶせたままのトレイを置いた。美女の前のグラスにワインが注がれ、食事が始まった。
「早く突入してェなー。肉食いてェなー!」
領事館の裏門に、怪しい人影が4つ、いや正確には人影が3つとトナカイの影が1つ。
「まあ待てよルフィ。ログポースを壊されちまったらなんにもならねェから、サンジが先に手に入れようとしてんだろうが。」
ウソップの言葉に、ルフィが頬をふくらませる。
「わかってるさ。あー肉食いてェ。」
ゾロは無言で刀の柄を握り、チョッパーは緊張した顔で門の向こうを見ている。ナミは番人として船に残った。
「もうすぐ5時だ・・・」
どこかで、鐘が鳴った。



 食事は滞りなく進んでいた。
手の込んだ肉料理やサンジも見たことがないような料理が出されたが、モンタナは笑顔を見せるでもなく平らげていく。
「最後でございます、モンタナ様」
執事がうやうやしくサンジのトレイの蓋を取った。
「・・・?!」
取り澄ました執事が、動揺を見せた。他のコックたちも何事かと身を乗り出してテーブルを眺める。サンジだけが涼しい顔をして立っていた。

 曇り一つない銀のトレイに乗っているのは、具のないスープの皿とナンが1枚。

町で振る舞われた「食事」だった。
「これを作ったコック、前へ出ろ!どういうつもりだ!」
「俺がつくった。うまいぜ、それ。」
全員の視線がサンジに集まった。
「ふざけるな!きさま、モンタナ様を愚弄する気か!」
そのとき、ずっと黙っていたモンタナが口を開いた。
「それをもて。」
「はあ?!いえ、お言葉ですが、モンタナ様がお口になさるようなものでは・・・」
「食べてみなくてはわかるまい。」
「は、はい」
彼女の言うことは絶対なのか、執事はスープとナンをモンタナの前へ運んだ。
サンジはモンタナの後ろのサイドボードを見ていた。100万ベリーの札束と、ログポースがたしかに置いてある。
目の前に置かれたナンを一口かじり、スープを口へ運ぶと、彼女は皿ごと右手で押しやった。
「・・・水のようだ。私は食事を望んだはずだが。」
執事が、そんなことはわかっていたと言いたげにサンジをにらむ。怒気をはらんだ視線をものともせず、サンジはゆっくりと彼女に近づいた。彼女の背後のサイドボードに。
「美しいレディ、あなたが管理を任されているこの町の民たちには、それが通常の食事です。あなたが一口食べていらないと思ったものを食べて、彼らは日々を過ごしています。」
モンタナの整った顔の中で、緑色の目が鋭く光った。
「貧しさとはそういうものだ。おまえは作り直せ。それまで判定は待ってやろう。」
「お断りだ。俺はコックだから、腹が減ってるやつにはそいつが悪党だろうと仇だろうと食わせるさ。でもあんたはそうは見えねェな・・・なにに飢えてるのかは知らねェけど。」
捕らえろ、とモンタナが言い終わるよりも早くサンジは床を蹴り、サイドボードの上からログポースを掴み取っていた。

「何をする!」
「早く捕らえろ!」
執事たちの叫びが交錯する。体当たりして窓ガラスを破ったサンジの身体は、2度回転して地面に降り立った。
「2階で良かったー・・・」
ホッと息をつきつつ、裏門を探して走り出す。モンタナ様とやらを人質にしてやろうと目論んでいたが、女性をたてにはできないという彼の美学のため、作戦変更せざるを得なかったのだ。
右の方から人の声がし、素早く植え込みに身をひそめると、サンジはそのまま左へ駆けだした。



 一方裏門のルフィたちは、館の中が騒がしくなったことに気づいた。
「サンジかな?」
チョッパーが帽子のつばをあげた。ウソップもパチンコを取り出し、ゴムを確認する。
「行くか。」
ゾロが鬼徹を抜いた。ルフィが頷いた瞬間、黒い鉄の門は斜めに斬られ侵入者たちを受け入れた。



 銃声と怒号が響く庭をサンジは駆け回っていた。警備が薄くなり、どうやら仲間たちが裏門から押し入ったらしいことはわかったが、庭が広すぎてなかなか合流できない。迷いつつもう20人ほどの近衛兵は蹴り倒したが、海軍並に武装しているため囲まれないように必死だった。
 ドォン!と地響きがし、金属的な破壊音がそのあとに続いた。
「なんだ?大砲か?!」
わあっと雄叫びが聞こえ、いくつもの足音が入り乱れる。まるで海賊でも襲ってきたかのような・・・
「あ!あのコックの仲間か!」
大きなシュロの木の後ろに身を隠しつつ、サンジは辺りをうかがった。あのとき、コンクールが終わったらすぐにココを出ろ、と警告した海賊コックの一味が押し寄せてきたのだろう。ハンカチでくるんで胸の内ポケットに入れてあるログポースの無事を確認すると、サンジは館に近づいていった。


 館の中で倒れていた兵士に食料庫の場所を聞き、たどり着いてみるとすでにめぼしいものはなくなっていた。桜型の足跡があちこちにあるところからみて、仲間たちの仕業に間違いない。
「じゃあ俺も脱出するか・・・」
食料庫は空調が効いていたが窓はなかったので、走ってきた廊下を逆戻りすることになる。サンジが方向転換したのと、海賊たちが階段を下りてきたのとは同時だった。
「てめェ、麦藁一味だな!」
「だったらどうした」
相手は5人。銃を持っていたが、サンジは両手を上着のポケットに突っ込んだまま、文字通り蹴散らした。4人までは声も上げずに失神させたが、残る1人が恐怖で反射的に引き金を引き、
「うお!」
銃弾はギリギリで反れたものの、体勢を崩した拍子に内ポケットからハンカチの包みが飛び出してしまった。
「やべ・・・」
身をかがめて拾うとしたところを、別の銃弾が襲う。
「海賊だな?!両手を頭の後ろで組め!」
近衛兵が数人、少し離れた廊下で銃を構えている。逃げるだけならなんとかなるが、落としたログポースを拾わねばならない。
ガチン!と撃鉄を起こす音にしかたなくサンジは両腕を挙げた。
「そのまま動くな・・・ぎゃッッ!」
並んだ兵士が、背後から斬り倒された。血煙があがるなか、黒いバンダナを頭に巻いたゾロが姿を現した。
「こんなとこで何してんだテメェ!」
「オマエこそ何やってんだよ!もう脱出したんじゃなかったのか?」
ぐっと黙ったゾロを見て、サンジは事情を理解した。追っ手を攪乱するために別々に逃げ、コイツだけ館の中で迷っていたのだろう。
床からログポースを拾い上げ、もと来た廊下へ出る。
「とっとと逃げようぜ。」
思った通り、ゾロは無言のままついてきた。



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